100年の歩み
大正5年に創業した塚田印刷株式会社のオフセット部門として千代田区神田錦町で創業した錦明印刷株式会社は、
2016年に100周年を迎えました。
| 1916 |
活版印刷と塚田印刷創業時代1916 年、錦明印刷の前身となる塚田印刷所が神田の一角で産声を上げた。第一次世界大戦による空前の好景気を背景に、成長著しい印刷という産業界、そして活版という分野で、確かな技術と機動力を頼りに顧客を開拓していく。関東大震災、そして二つの世界大戦を乗り越えて終戦を迎える頃には工場を増築し、従業員50 名ほどを抱えるひとかどの会社に成長していた。
1916年
1923年(大正11年)に起きた関東大震災の後には、神田神保町界隈ではこのような石造りの洋風建築が盛んに建てられた。現在でも靖国通りの矢口書店など、昭和初期に建てられた洋風の建物がわずかに残っている。
1928年(昭和3 年)に新築された塚田印刷の本社ビル。エントランスに天使のレリーフを配した洋風の建物だった。(1950 年代後半撮影)
| 1949 |
オフセット印刷と錦明印刷拡大時代塚田印刷所の錦町分工場は1949 年に株式会社化され、錦明印刷として新たな一歩を踏み出した。印刷といえば活版印刷が主流であった時代に発展途上のオフセット印刷に特化して、試行錯誤を重ねながら印刷の新たな可能性を切りひらいていった。
1949年
神田錦町時代(1950年頃撮影)旧、博報堂本社の裏手にあった。入口前の道は6メートル道路と狭く印刷用紙の搬入、搬出は手作業でおこなっていた。
現在は神保町テラススクエアの敷地の一部になっている。
西神田本社(1965年撮影)南堀留橋から見た旧、西神田本社ビル。首都高速5号池袋線はまだできていない。
1957 年に現在も本社ビルがある西神田の川沿いの土地を取得して神田錦町から移転した。
三角屋根の建物は以前からあったもの、後ろに2階建ての工場棟を建設した。
大和工場(現 デジタルプリントセンター/和光市)書籍の印刷から製本までの一貫生産を行うビジョンが生まれたところで、この大和工場はその第一歩として設けられた。(1960年代撮影)
旧 西神田本社ビル以前からあった三角屋根の建物を壊して1967年に建設された。
1997年に新本社ビルができるまで約30年間、本社ビルとして使われた。(1960年代撮影)
1974年
埼玉工場(現 ケイ エム アーツ/埼玉県朝霞市)書籍の一貫生産を目指して1974 年に新設された埼玉工場。新設当時、工場棟は1階建てだったが、いつでも増設できるように基礎だけは造られていた。(1974年撮影)
増築された朝霞工場(埼玉工場)1974年に新設された埼玉工場は、1978年に工場棟の2階、3階部分を増築して現在の姿になる。(1978年撮影)
塚田印刷本社ビルの解体錦明印刷と塚田印刷の合併に伴って、新しいビルの建設のため塚田 印刷の本社ビルは解体された。(1979 年撮影)
塚田印刷の跡地に新築された錦明印刷神保町ビル跡地に建設された錦明印刷神保町ビル(1980~1993)。3~5階には写真製版の部門が置かれた。塚田印刷で所有していた活字棚などの設備の一部も、この新しいビルへと移設され、1990年頃まで稼働していた。(1985年撮影)
1980年
戦後の経済成長が一息つき、オイルショックによって大打撃を受けた産業界の関心は、業務の合理化・近代化へと向かう。錦明印刷においてはそれまで分業が当たり前とされてきた「書籍の一貫生産」に着手、生産の効率化に成功する。1980年には錦明印刷と塚田印刷が合併。その後は印刷工程のコンピュータ化にも積極的に取り組み、デジタル時代の到来に先んじた業務態勢を整えていく。
富士見工場(埼玉県鶴ヶ島市)鶴ヶ島市の富士見工業団地内に富士見工場を新設。
使用面積1700㎡という広大な建物の中に、ハリス社製文庫本文専用オフ輪を朝霞工場から、製本設備一式を和光工場から、それぞれ移転して書籍生産の拠点とした。(1981年撮影)
富士見工場の書籍製本ライン2000年に刷新された書籍製本ライン。
生産性の向上はもちろん、壁を取り除いて作業工程の流れが一目でわかるようにするなど、見学者にも考慮したレイアウトにした。(2016年撮影)
ハイデルベルグ社製A横半裁WEB8 5/5 オフ輪(富士見工場)錦明印刷が初めて導入したカラーオフ輪。
当時は文庫本文のカラー化の動きがあり、それに対応できる生産能力の高いカラーオフ輪が必要と判断してのことだった。もっともその後、文庫本文のカラー化が定着することはなかったが、商業印刷物の分野ではカラー化が著しく、このオフ輪はその印刷において大いに活用された。
| 2001 |
情報技術産業への脱皮さまざまな産業のデジタル化とグローバル化が進む一方で、企業各社は成長率の鈍化する成熟社会への対応を迫られるようになった。かつて製造業に分類されていた印刷業は、サービス業としての役割を強く求められるようになり、技術力とともに、顧客ニーズの先取りや問題解決に役立つビジネスを「提案する」力量が問われる場面が増えていく。
1995年
錦明イメージングセンター(和光)1995年には和光工場をリニューアルして、錦明イメージングセンターを新設。プリプレス部門を集約し、組版や製版などのデジタル処理を行う一大拠点とした。
1994年神保町ビルの建築
1997年西神田本社ビルの建築
21世紀を目前に控えた1990年代、錦明印刷では本社、神保町ビル、和光工場の3拠点について、建て替え、あるいは大がかりな改装を実施した。
3拠点はいわゆるインテリジェントビルに模様替えし、床下の空間を利用してパソコンなどの配線がおこなえるようになった。
1997年
タイ国バンコックにカンパイイメージング設立1997年にタイ・クルサパプレス社と錦明印刷の合弁会社としてバンコクに設立された。デジタルプリプレスを主事業とする。
ハワイ・ウィンキュービックドットコムへの出資ウィンキュービックドットコム(wincubic.com,Inc)は日本の欧文印刷株式会社が1999 年にハワイに設立した会社である。ハワイの日本語ポータルサイト「アロハストリートドットコム」の運営と、フリーマガジン『アロハストリート』の出版などを行っており、錦明印刷は2000 年より資本参加をしている。
フォトビジネスソリューション写真品質のインクジェットプリントをイタリア製レザーカバーで製本し、ブライダルなど高級アルバム市場に提供する。
2009年
ワンピースDMを導入封筒とパンフレットを一体化し、封筒不要、封入・封かん不要としたワンピースDM の製本機。2009年に富士見工場に導入された。
いつもいっしょWEBサイト個人が所有する画像データを使用して、オリジナルのカレンダーやアルバムを作るサービス。子供やペットの写真を使えることがユーザーの心をとらえた。
HP社製 デジタル印刷機 Indigo5500を導入2010年に導入されたデジタル印刷機Indigo 5500。従来のオフセットの質感に本物の写真品質を融合させた。デジタル印刷が新しい時代のサービスを生み出している。
3D Lab360°撮影システムと高精度3Dプリンタを組み合わせた新事業。これはその一部で、人体を立体スキャンして出力し、本人そっくりのフィギュアを作成するサービス。
オフ輪・LED のUV 印刷を世界に先駆けて導入ゴス・インターナショナル社製
A横全判4 / 4色オフ輪M600
LED-UV 改装機
LED-UV照射装置を搭載した、世界初の実用商業オフ輪。東洋インキ製の高感度UV インキと組み合わせ、毎時3万回転以上のスピードでUV 印刷が可能。
2016年
錦明印刷は、100周年を迎えました。